【吉原】蔦屋重三郎の足跡を辿る!べらぼう大河ドラマ館と吉原散策ガイド

【東京23区内】癒しさんぽ

江戸時代の名出版プロデューサー・
蔦屋重三郎の足跡を辿る!

べらぼう大河ドラマ館と吉原散策ガイド

2025年のNHK大河ドラマ、「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」(つたじゅうえいがのゆめばなし)にちなみ、「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」、そして蔦屋重三郎ゆかりの地、吉原を散策してみました。

ディープな歴史解説はなく、純粋に街散策として街歩きをすることに特化した体験ブログとなります。実際にドラマの内容と照らし合わせて、大河ドラマ館に行ってみたい、吉原に行ってみたい、とご興味をお持ちの方、ぜひ最後までご覧ください。

※なお、筆者は吉原が江戸の文化・流行の発信地であったという綺羅びやかな側面がある一方で、幕府公認の所謂売春地区であり、ほとんどの遊女は借金のかたに売られた「娼婦」であったこと、借金を返済するまで働かされ、過酷な状況の中で病気(とりわけ性病)で亡くなっていった女性たちがいたことを、歴史本からしか知り得ません。人身売買であったという歴史上の話を基にした場合、この闇の側面も絶対に忘れてはならないと思いつつ、このプログをしたためております。

 

江戸文化を変えた出版の仕掛人・蔦屋重三郎とは?

江戸時代の出版業者、浮世絵版元としての功績をあげた、江戸のメディア王と呼ばれている人物です。吉原生まれ、吉原育ちの蔦重は、江戸中期から後期(1750年〜1797年)に生きました。蔦重は、吉原のガイドブック(吉原細見)の版元となり、吉原五十間道で耕書堂という本屋を開業。天明期に狂歌が一大ブームとなると浮世絵と狂歌のコラボ本を出版。その後も、今や誰もが知る喜多川歌麿、東洲斎写楽といった浮世絵師をプロデュースし世に送り出しました。
白河藩松平定信の寛政の改革で資産の半分を失うという打撃を受けながらも、精力的に活動を続け、47歳でその生涯を閉じたと言われています。

イラスト:フタバさん

ファン必見! 「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」で蔦重と吉原の世界を体感しよう! 〜5つの見どころ〜

5つの見どころ

1 衣装・小道具
「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」に入館するとすぐに蔦重役の横浜流星さんが着ていた衣装が飾られておりました。実際に目の当たりにした感想は、「意外と大きい」です! ぜひあなたの目でも確かめて見てくださいね。

蔦重衣装(横浜流星さん着用のもの)

 

他に、平賀源内役の安田顕さんが着ていた衣装や、瀬川役の小芝風花さんが着ていた衣装も展示されていました。
花魁の衣装が飾られているということで、個人的にこの衣装を第一目的に大河ドラマ館を訪れました。とても鮮やかで美しい衣装でしたよ。着物好きの方には嬉しい展示ですね! 現在は、この写真とは異なる衣装が飾れているようです。

 

2 登場人物の解説と俳優からの役に関するコメント

登場人物ごとにその役柄と俳優さんの役に対するコメントが展示されています。
実際のコメントは、大河ドラマ館を訪れて確認してみてくださいね。

 

3 写真撮影スポット
蔦屋重三郎役の横浜流星さんと一緒に写真を撮れるスポットがあります!
流星さんファン、蔦重ファンにとっては嬉しいスポットですね。
ちなみに、この「UNBOUND」という単語の意味はご存知ですか?
解答は、このブログの「まとめ」に書きます! 気になる方は最後までお読みください。

大河ドラマ館のスタッフの方に撮っていただきました。

    

 

4 テーマごとのゾーン
五十間道ゾーン、仲ノ町ゾーンなど、ドラマと共に江戸時代の吉原の雰囲気を味わえる
エリアがあります。
耕書堂が再現されていて撮影スポットになっています。
私達もスタッフの方にまた1枚撮っていただきました。

 

仲之町ゾーンでは、「べらぼう」における遊女をどのように描いているか、という背景がわかるような資料がたくさんあります。吉原の遊女たちや瀬川にフォーカスが置かれているゾーンでした。

 

5 映像コンテンツ
ミニシアターがあり、映像コンテンツでより深く「べらぼう」のドラマの世界を理解することができます。
また、台東区の名所を映像・解説とともに案内してくれるコンテンツもありました。台東区と言えば浅草!とまずは思ってしまうと思いますが、それ以外にも歴史的遺産・資産がたくさんあります。個人的にはそれがとても勉強になりました。上野東照宮や平賀源内のお墓など、今回の散策では行けなかった場所も後々訪ねてみようと思います。

 

みどころ番外編!!
お土産館について
たいとう江戸もの市(お土産館)
写真を撮るのを失念してしまいましたが、お土産屋さんも江戸の雰囲気で囲まれた楽しいスポットでした。こちらから詳細を確認できます。「お土産・グルメ」からご確認ください。
https://www.taito-tsutaju.jp/
出典:蔦重ゆかりの地台東区公式サイト

アクセス方法、営業時間、入場料

「べらぼう 大河ドラマ館」は、浅草寺からほど近い台東区民会館9階にあります。
浅草駅からも歩いて行ける場所で、隅田川沿いに歩いていくのも、雷門→仲見世→浅草寺をお参りしてから、大河ドラマ館へ向かうのも、お好きなルートで行ってみてください。

なお、混雑時には整理券が配られるそうですので、詳細情報は公式サイトをご確認ください。

■台東区民会館9階
東京都台東区花川戸2-6-5

■営業時間
9:00〜17:00(最終入館時間16:30)

休館日
毎月第2月曜日(第2月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始等

■入場料
大人(中学生以上)800円
小人(小学生)400円

その他、団体料金、区民料金等割引あり。詳細は公式HPをご確認ください。

https://www.taito-tsutaju.jp/
出典:蔦重ゆかりの地台東区公式サイト

蔦重の足跡を辿る吉原さんぽコースとは?

江戸時代の吉原と現代の位置づけ

吉原遊廓の歴史を江戸時代のみで考えると、250年の歴史があるそうです。
もともとは、日本橋人形町にありこの時代は元吉原と言われています(40〜50年間)。1657年に台東区千束に移転してから100年ほど過ぎた頃に蔦重が生きた時代(宝暦年間、1751〜1764年)がやってきます。この時代に吉原のシステムの変更があり、それから100年ほどの時代があります。

宝暦以前は、選ばれし者しか吉原では遊べなかったそうですが、武士、大名階級の経済の衰退と共に、商人や庶民文化が台頭してきます。吉原の格式も過去に比べてそれに合わせて下がっていったことが想像できますね。ドラマの中で蔦重が「女郎が吉原に来たら人生が変わる(人生が良くなる、憧れの地的な)と思われる場所にしたい」というようなセリフを瀬川に話していた理由が腑に落ちます。

江戸時代が終わり、明治、大正期になり廃娼運動が盛んになりつつもそのまま吉原遊廓は営業し続けました。
関東大震災時には吉原も被災。約500名の遊女が火から免れるために弁天池に飛び込み溺死したそうです。
戦後、GHQによる公娼廃止司令が発せられてから、売春防止法の施行に最終的に至ったのは近年(1958年/昭和33年)です!

現在も、ソープランドなどが軒をつらねるそうです。実際にドラマの足跡をたどるために、お昼間にメインストリートのみを歩いた限りでは、歌舞伎町のような派手さや、風俗街の強い印象は受けませんでした。

おすすめの散策コース(2時間で巡れるルート)

  • おすすめの散策コース(2〜3時間で回れるルート)

浅草駅→雷門→浅草寺→大河ドラマ館→正法寺→山谷堀公園→見返り柳(吉原)→浅草へ戻るというルート

 

さぁ、では実際に一緒に歩いてみましょう!


雷門を通り抜け…


仲見世を歩きます


浅草寺に到着!


境内に行く手前で、右手に向かい歩き大きな通りに出るまで歩きます。
大きな通りに突き当たったら、左手に進んでいきましょう。
道の右側に台東区民会館が見えてきます。
 
こちらの台東区民センターに、大河ドラマ館があります。


次に蔦重のお墓がある正法寺へ…

正法寺


もともとは水路だった山谷堀。

ここから船に乗って日本堤に到着し、吉原に行くルートがありました。
今は埋め立てられて公園になっています。

山谷堀公園


山谷堀橋跡


このまま道なりに沿って北北西に北上していくか、

左手に進み大きな通り(土手通り)を北上してくと、
いよいよ吉原エリアの入口付近にたどりつきます。

見返り柳


見返り柳から大門までの間に、五十間道があります。

S字カーブになり日本堤から吉原が見えないように工夫されていました。
田舎出身の筆者にとっては、このような道は結構見かけていたので、
あまり珍しくないのですが、吉原のことを知ることで、
いろいろな工夫がなされていて、なるほどと関心しました。

ここを歩いていく一歩一歩が、まるで現代人がディズニーランドに行くように
高揚感を得られる道になっていたのかもしれません。


五十間道(S字カーブ)

 

S字カーブを抜けると直線の道、仲之町通りに入ります。
そして見えてきたのが、かつて吉原大門があった跡。道の両側に「吉原大門」という目印があります。

吉原大門


吉原大門を通り、仲之町通りをまっすぐ進むと道の左側に「新吉原耕書堂」が見えてきます。ここは、
蔦重が開業した耕書堂を基に建てられた観光案内所のような場所になっています。中に入ると、面積はそんなに広くありませんが、ちょっとしたお土産や、吉原の歴史が知れる展示が置かれていて興味深いですよ。
特に花魁の高下駄は、実際に見てみる価値ありです!総重量30キロほどの装備で花魁道中をしていたのかと想像すると、驚きを隠せません!


江戸新吉原耕書堂


さらに真っ直ぐ進むと道の右側に吉原神社が見えてきます。

九郎助稲荷をはじめ、計6つの神様がお祀りされています。


吉原神社

吉原神社でお参りした後は、仲之町通りをそのまま進み、左手に見えてくる吉原弁財天へ。
関東大震災時にかつてあった弁天池で遊女490名が溺死するなど、悲しい歴史がある場所。

掲示板に歴史を偲ぶ資料が掲示されているので、心が痛くなりました。


吉原弁財天

これで吉原の仲之町通りを中心とした散策は終わりです。

※大河ドラマ館の来館記念証を提示すると乗れる「循環バス」があります。歩き疲れた場合、利用するのも手です(9名まで乗車可能)。私たちは、残念ながら乗れなかったので乗り心地はどうかわかりませんが、散策するのに時間短縮になりますので、タイミンが合えば利用すると良いでしょう。

休憩・食事におすすめの場所

仲之町通りを真っ直ぐに進み終わった後、お昼休憩にするとお店を見つけるのが困難かもしれません。おすすめは、午前中に大河ドラマ館を見終わってからその周辺(浅草エリア)でお食事をするか、見返り柳近くにある老舗の天ぷら屋さんに行くかです。

・老舗天ぷら屋さん
土手の伊勢屋

吉原近辺だとお食事処を見つけるのが難しいと感じました。
私たちは、お昼休憩を全く考えておらず歩いてしまったため、吉原弁財天まで訪ねた後、食事処を探しました。そこでたどり着いたのは、いせや千束
お昼は行列ができているようなのですが、私たちが訪れたのは14時半頃だったので、待たずに座ることができました。甘めのタレで、天丼は1000円代と比較的リーズナブルな料金で美味しかったです。衣はサクサクではなく、しっとり系でした。

 

その他参考情報

訪問のベストシーズンと時間帯

べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館:混雑を避けるためには開館と同時か午前中に行くのがベストと思われます。

吉原散策を大河ドラマ館の後にする場合には、なおさら、大河ドラマ館は午前中に訪問することをおすすめ!

実際に筆者は10時に浅草駅から前述のルートで歩き始めて、お昼を食べたのは歩き尽くしてからの14時半ごろでした。正法寺から見返り柳までのルートで飲食店をほぼ見かけなかったため、少し遅めのランチか、五十間道に入る前にその近辺でお昼を食べるのが良いと思います。

持ち物リスト

・蔦重ゆかりの地マップ(大河ドラマ館や、新吉原耕書堂でいただけます)
べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館のチラシ(循環バスの案内を確認できます)

周辺の観光スポット

浅草雷門、浅草寺、仲見世、隅田川、東京スカイツリーと周辺にはたくさんの観光スポットがあります。
他にも上野公園、上野の美術館・博物館群と、台東区にはたくさんの観光スポットがあります。

もし浮世絵好きなら、お隣の墨田区両国にあるすみだ北斎美術館」は絶対に訪れた方がよいスポットです!

 

まとめと感想

純粋に大河ドラマの世界を知りたい!理解したい!という大河ドラマファン、横浜流星さんファンの場合は、大河ドラマ館のみの訪問で十分に楽しめると思います。
今回、筆者はかねてから訪問してみたかった吉原を実際に歩きましたが、言葉では言い難いなんとも言えない雰囲気を感じました。昼間と夜ではまた異なる風景になると思いますが、民家の中に風俗街がある?というイメージです。仲之町通りから一歩中へ踏み込むことはしなかったので、吉原の上澄みしか体験していません。
歴史をたどりたい方や遊郭そのものに興味がある方、現在の吉原を体感してみたい方、吉原神社・吉原弁財天に訪れて見たい方は、このブログの散策ルートが参考になれば幸いです!

※写真撮影スポット、UNBOUNDのと書かれている横浜流星さんの写真について
・UNBOUNDとは? =「べらぼう」という意味になります。あえて英語で訳すとなるとこの言葉になるそうです。

小さい頃から知らない道や街を歩くことが好きで、親に内緒でこっそり遠くまで行ってしまったことも! 散歩や旅行、美術館・博物館が大好きで海外旅行で訪れた国は17か国。携帯電話・スマホが無い時代に、ヨーロッパをバックパッカーとして周った経験あり。

現在は、年間30回ほど散歩のオフ会を開催したり、ひとりでも日常的に癒しのさんぽを行っている。散歩や街散策を通して新しい発見をすると、あたりまえだと思っていた風景が、魅力的な「非日常」になる。その瞬間が大好き♡。

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